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跡から学び、未来を考えるシンポジウム~ベップ・アトノ・マツリ開催 
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泉観光都市別府市において、現在戦前の文化や建築物が過渡期をむかえ次第に失われつつあります。これからも安易にハイテクバリアフリー化することだけを求めていけば、別府の歴史的景観、文化、町の人々のコミュニティは失われていくのではないかと危惧しています。
別府の文化、街並みは多少不便なところはありつつも魅力的なものです。このままただ失われていくのでしょうか。
ユニバーサルな町、みんなに優しい町、そして別府という町をもう一度考え直してみる余地があると思います。歴史的建造物や景観を保全しつつ、高齢者も障害者もだれもが暮らしやすい町にしていくには、どうすればいいのか、もっと具体的に考え、知り、市民の皆さんと共有していきたいと思います。


県庁HP

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はい。こんぺき出版、2015年一発目のイベントです。
約一年かけて準備してきました。今回は、発端は悪ふざけでしたが内容は真面目です。
大分県との協議で主催。
何でこんなことをやることになったのか?
説明するとものすごく長くなるので喫茶店を営むこんぺき出版社外取締役がこのイベントで配布する冊子に載せるために書いてくれた文章を勝手に掲載します。


何故、アトノマツリか?
        
あとの祭り――時期におくれてどうにも仕様のないこと。手おくれ。(広辞苑)

最初の発想はあとの祭りじゃなくて跡の祭り、もしくは跡フェスティバルというただの駄洒落でした。とあるカフェのお客さんとマスターの会話と思ってください。

「アート、アートって言うけど、跡のほうが多いって思わない? ここには少し前まで○○がありました、みたいな跡だらけって思わない? アートフェスティバルとかやらなくて、跡フェスティバルのほうが似合っているわよ」 

「あ、それ面白い、アトノマツリってイベントやりません?」

アート関係の方、ごめんなさい。アートを悪く言っているんじゃないです。アートと跡をかけたただの悪ふざけ。

「跡フェスティバル、跡のまつり、後じゃなくて跡。史跡の跡の方。別府は跡だらけだから、その跡ばかり巡るの。で、何故残さなかった、別府市民はバカだとか、行政はアホだとか、自分ばかりが偉そうに言うのを眺める。しかも、それに尤もらしい理屈つけて、ツーリズム事業かなんかから補助金が行政から出たら面白いって思わない?」

「跡のまつりってイヴェントやろう。ここに赤銅御殿がありました、今はただの住宅地です。石碑建てて誤魔化してます。次は中山別荘、ここはスーパーやら100キンの店やら云々って廻って、浜脇高等温泉の素晴らしい写真を見ながらそのあたりを歩く、とかどう?」


このあたりまではほとんど与太話だったが、こんぺき出版豆塚エリにやろう、アートマンスで跡フェスティバル、跡の祭り、と声をかけてみた。

「真面目な話、なくなったものはしようがない。でも、何故、なくなったか? 方法はなかったのか、検証して、今後に活かす。ってのはありじゃないか? 結果的には成功している事例だってあるから、それからも学べることあるんじゃないかな。」

その喫茶店のマスターである僕は二〇一四年還暦六十歳になった。一九六四年東京オリンピック以降、とにかく古いものを壊して、コンクリートの新しいものを作るのことを良いとする価値観が支配的になったような気がする。市川崑監督の東京オリンピックって映画は街を破壊して行く映像から始まっていた。現状は、惰性というか慣性の法則だろう。歴史と愛着を兼ね備えた建築物が誰も有り難がらない建物に取り替えられていく。このシステムが崩壊しない原因はそのシステムに依存し利益を得る人々が少なからずいるから。これは相当に根深い問題で、簡単に止めようと言うキャッチコピーだけではどうにもならない。このことは民主党政権が実証してくれた。今、この時代にまた東京オリンピックをやろうって、あの震災からも何も学ばなかったと思う。


豆塚エリと僕の会話、「あとの祭りにならないように、あったらよかったのにという跡を巡って、これは残したいという建物でも景色でもいいや、それも巡って、どうしたら残していけるかも考える。例えば、残そうって掛け声だけじゃ駄目で、建築家の人が耐震とか、費用のこととか話してくれる、そんな機会もあればいいかな?」

「本というか雑誌作るのはどう? 今日新聞の記者のOさんに頼んで、残しておきたかった建物や風景を写真をふんだんに使って書いてもらう。」

「意識付けって言ったら少し高飛車なかんじがするけれど、最終的には、例えば何か遺したいっていうときに動こうよ、知恵を出そうよ、行政ばかりに頼るんじゃなくって自分達で残していく。また、素晴らしいものがこの街にはあるよ、って知らせることも大切でしょ。赤銅御殿だって中山別荘だって、入ったこともない、どんなものか知らないって別府の人たくさんいたもの」


実際には無くなってから、あれば良かったのにと思うことの方が多い。建物ばかりだけでなく森や木、普通に流れる川、砂浜。とにかく古くからあるものを目の敵のようになぎ倒し、コンクリートで何か作る。
川底がコンクリート面の異様な川が別府では当たり前だ。大雨が降ればあふれんばかりに泥水が恐ろしい勢いで流れる。洪水が起こらないようにしているのだろうが、本来自然に恵まれたこの町には異様だ。
それに、情緒のある温泉が雰囲気も残さず無様な建物になるのは何とかならないのだろうか。おそらくコストが高くなるんだろうけど、それでも良いという考え方はないのか?

ごく当然の意見もあった。元高校教員の方から、

「まるで他人事として、別府には文化が育たない、中山別荘も残せない、って大損失だ、とか某先生が言ってるけど、どうなの? 中山別荘なんて入ったことのある人の方が少ないでしょ。個人の持ち物なんだから。いきなり残せって、市が買えっていったところで納得するかな? 仮に買ったところで、市が税金つぎ込んで維持してどうか出来るとは思えないけど。」

イヴェントあとのまつり、発想は面白いけど、方法論とコンセプトが明確でなく、時間をかける必要があると思いだした頃、豆塚エリから県の「人権関係NPO等連携強化推進事業」から補助金が出る、と連絡入る。


泡食った僕と豆塚エリとの会話。

「人権ってどうするつもりよ、人権となんの関わりがあるわけ?」

「広い意味でユニバーサルデザイン。私達障がい者だけでなくて、妊婦さんや子連れの人、お年寄りも含めてみんなが暮らしやすい町。建物が老朽化や耐震だっていって次々と立て替えられていく、その際にバリアフリーにするんだけど、実際には、障害者からの立場から言うと、さまざまな種類の障害者の方がいるように、全ての人たちが確実に利用できるところなんて少ない。すでにここにアトノマツリが発生している。
でも、告発とかそういったことがしたい訳じゃない。ハードよりソフトってことを言いたい。ソフトって結局は人なんです。そういう意味で別府の人は障害者の人に比較的手を貸してくれたり気を遣ってくれる。例えば、ここは入り口に段差があって、店内もそう広くは無いし、バリアフリーじゃないけれど、来てドアをノックしたら扉を開けて段差をあげてくれるし、お客さんも少しずつずって車椅子が入るくらいのスペースを空けてくれる。その一連の流れがあまりにも自然で、障がい者であることを忘れてしまう。」

「暮らしやすい町と跡の祭りの関係がもうひとつわからないな。何で補助金がとれたわけ?」

「つまりは、どんなにバリアフリー、ユニバーサルデザインにしたところで、すべての人間が使えるかと言えば、なかなかそうはいかない。限界があるんです。どうしても人の手を介せざるを得ないところがある。逆に言えば、人の手があれば、多少のバリアはクリアできるんです。
別府は情緒ある町並みを有しています。車いすの私だって、そんな別府の町並みを楽しみたいと思っています。少し不便でも、昔から市民に愛されている建物やその空間を私も共有したい。例えば、この喫茶店は狭いし自分じゃ入れないけど、だからといって、ショッピングセンターの中にあるバリアフリーのカフェに行きたいとは思わなくて、私はここで、マスターや常連のお客さんとおしゃべりするのが好きだし、第一に何も不便を感じてないから」

「ふんふん、観光価値で赤銅御殿じゃなくて、地域の共同浴場みたいなことだな。明らかに地域のみんなに愛されて利用されているのに、老朽化、耐震、バリアフリーって建て替えたら、まあ、センスのかけらもかんじられないような代物出来ました、ってか。」


よくわからないけど、なる程。こんな風にアトノマツリをやることになってやらなければいけないことになった。


別府の良いとこは別府に住んでいる人々には当たり前すぎて見えてないことも多い。他の土地から移ってきた人、しかも車椅子の人たちの話は本当に為になった。

改めて、暮らしやすいということの意味を考える。物価、家賃、仕事、安全、はもちろんだが、多分、人が一番じゃないか。そこに暮らす人々の価値観ではないかと思う。口に出せば恥かしい言葉ではあるが、やはり、人とのつながりを大事にしたコミュニティがあるということだと思うのだ。
それはひとつに地域の風呂に毎日同じような時間に入っていれば顔見知りになり、話すようになり、お互いのことを知るようになる。気が合うとか仲がよい必要はなく、どこに誰が居てどのような状態でいるか分かるというのは大きい。

三・一一以来、防災がしきりに言われているが、どこに逃げるかを行政がその地区にどういった人が住むかも考えず、遠くに避難場所を決め、訓練時に遠くて歩けないと止めてしまった。まわり近所の逃げることが出来ない人の把握をコミュニティがしていることが一番ではなかろうか。いつ来るか分からない災害に四六時中身構えておくなど無理なのだから、自分が居る場所で起きた災害に対して、自分の身の安全、その次に近所の弱い人から安全確保をしていく、というのが現実的だろう。
この場合の弱い人は障害者だけではない。僕の知っている車椅子の方は段差さえ無ければ老人や子供より速く動ける。コミュニティの構築などと言ってもほぼ自然発生的に出来たものだし、維持する方法は基本的には今の時代に逆行するようなことだ。近所付き合いをする。挨拶をする。多少の価値観の違いを認め合う。お互いに助け合う。というのは人として当然のことなのだが、携帯が当たり前になり、目の前の人より気の合う仲間的なバーチャルコミュニティを大事にするというか、ただ繫がっていることを大切にするようになっている。

障害者の方が暮らしやすい街というのはおそらく全ての人にとって暮らしやすい街であろう。人と建造物を含めた環境がどうあるべきかを考えていくきっかけになればと思う。
それに何よりも大事なものはソフトということがハッキリした。そのソフトは別府ではおそらくは地域の温泉を中心としたコミュニティの価値観や考え方だったと思う。
別府から消え去ろうとしている風景やすでに跡になった風景の中には、コミュニティそのものがあると思う。
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